Nature Vectors by Vecteezy

現代の目標

 今も昔も経済成長は全ての国にとって大きな目標であり、経済成長こそ我々を幸せにすると考えられている。昔は特にそのような考え方が強かった。例えば戦後から高度経済成長気にかけた日本を想像してもらえたらわかりやすいだろう。しかし、そのような考え方の弊害として「過労死」や「性別分業(この結果、女性が働くことがタブー視されたり、男性は働かなければならないという圧力にさらされたりしましたね)」などの問題が生じた。現在はそのような悲劇に陥らないように新たな生き方を模索している時代と言えるだろう。

 昔が国全体の利益(成長)のためには個人の犠牲も厭わなかった時代だとしたら、現代は個人の自由や家族など自分に身近な人との幸せを最も大事にする時代だと言い換えられるかもしれない。そうだとすれば、私の疑問は次の通りだ。「個人の幸せが国(世界全体)の経済成長(幸せ)につながるのか?」

みんなやりがいを持てるのか?

 個人の幸せとはなんだろうか?私にとっては「したいことをするお金が十分にあって、家族と過ごす時間、友人と過ごす時間もあって、なおかつ、お金を稼ぐ手段である仕事が楽しくて仕方ない」状態である。しかし、この幸せ、想像しているより遥かに難しい。ある個人が最大の利益を得ようと思えば、他の人から搾取しなければならないかもしれない。もっと悲劇的なことは、ある個人は搾取されていることにすら気づいていないかもしれない。しかも、その搾取は「やりがい(働きがい)」という言葉で隠されているかもしれない。つまり、私が言いたいのは、「経済成長や個人の幸せの裏には常に誰かの犠牲があるかもしれない」ということだ。

 我々のSDGsのテーマは『働きがいも経済成長もー働き方改革』というものである。みんながみんな好きな仕事、やりたい仕事をするわけではない。しかし、経済成長や会社の運営などにはしたくない仕事をしなければならない人が必ずいるのである。彼らにやりがいを与えるにはどうすればいいのか。そもそも彼らに「やりがい」だけを強調して仕事をさせることは搾取にならないのか。(皆さんの意見お待ちしております!)

これからの投稿について

 グループ全体として今回書いたようなことやジェンダーによる問題など、私たちの興味関心に沿ったものを投稿していきます。今回書いたことももう少し考えて私たちなりの考えを発表できたらと思う。