みなさん、こんにちは!難民プロジェクトのシュンペイです!タイトルを見てこの人何を言っているの?誰のことについて言っているの?と思ったそこのあなた!あなたは正直ですね(笑)それがごもっともですから(笑)今回のこのブログのタイトルは今週の私たち難民プロジェクトのミクロテーマに関わってきます!ということで、今週のミクロテーマは何かというと難民の著名人たちです!今回、ミクロテーマについてプロジェクトのみんなと話し合うために、スポーツ選手や芸能人、歴史上の人物についてネットを通じて多くの情報を得て、情報交換をしました。プロジェクトの皆さんとの情報交換を通じて「あ~その人も難民だったんだ!」「そういう経緯で難民になったんだ!」といった驚きや発見を得ることができてまた一つ自分たちの学びを深めることができました。前置きが長くなりましたが、今から情報交換を通じて得たことを私のつたないブログを見てくれている皆さんに向けて紹介していきます!紹介する内容は難民の有名人です。

誰を紹介するかというと、ジャッキー・チェンです!「え、ジャッキーって難民だったの?」と思った方はいますか?少なくとも私は驚きました。映画などで活躍するあのジャッキーが難民だったなんて彼はどんな人生を歩んできたのだろうと思いました。ということで、ジャッキー・チェンについて今から紹介します。

世界で有名な俳優であるジャッキー・チェンは一度ではなく、二度も難民になっていました。彼が生まれる前に、中国では国共内戦を経て国内の共産化が急速に進められ、混乱な時代を迎えていました。そんななか、職業が国民党のスパイであるジャッキーの父親は共産党から命を狙われることになり、妻とともに香港に逃げ込みその時にジャッキーは生まれました。その後両親はさらにオーストラリアに移住しましたがジャッキーは香港の中国戯劇学院に入り、演劇や武道を学びました。

徐々にスタントマンやエキストラとして映画に出演するようになってきたジャッキーですが、彼に求められたのは当時カンフーで典型となっていたシリアスな役回りばかりでした。彼自身物足りなさを感じたのかコミカルさをもったヒーローを演じかつ主演である自らがスタントを行いカンフー映画界に新たな旋風を巻き込み「レッドブロンズ」や「ラッシュアワー」といった作品で彼は一躍時の人となった。

しかし、人気者となった彼に身の危険も迫ってきました。香港のマフィアが莫大な金を要求してきたうえに彼に発砲するなど命まで狙われていました。この時彼は自分の身を守るためアメリカに移住し、難民となりました。幸いにもその抗争は今は治まり彼は再び拠点を香港に戻しています。

自分のこだわりを貫いてトップスターに上り詰めたジャッキーは今、映画監督や俳優を続けながら、慈善活動にも力を注いでいます。彼の著書には「若い頃は必死で金を稼いで、何でも買いたかったが、歳を取った今は、何でも寄付したいと思う。金よりも

この世界のために、何かを残していくこと。それを考えるようになった。」と語っています。

いかがでしたか?昨今、「ネットカフェ難民」や「就職難民」といったネガティブな意味で「難民」という言葉使われ、「難民」自身に対しても同じようにネガティブなイメージを人々はもつかもしれません。しかし、ジャッキー・チェン含め難民を経験してきた多くの有名人たちも自分自身が追われるまでは、私たちと同じように家があり、家族との日常がありました。しかし、逃れた先で生活を建て直し、ここまでの業績を成し遂げてきました。不利な状況から立ち直ることはそう簡単ではないですが彼らは自分自身を信じてここまでやってきたのだと私は思います。もし読者の皆さんの中で紹介したい難民の有名人がいましたら教えてください。

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P 13 難民問題 Shumpei Soma (ソウマシュンペイ)