皆さん、「Hostile architecture(敵対的な建築)」のことはご存知でしょうか。
「Hostile architecture」とは犯罪を防いだり、秩序を維持したりするため、建造物に手を加えたものだ。しかしたいていは、若者やホームレスなど他の人より公共スペースに依存している人の排除が目的となっている。
例えば、野宿が出来ないように「ホームレススパイク」というトゲを床に打ち込んだり、ベンチに横になって眠れないように肘掛けを付けたりすることである。建築だけでなく、光や音でさえも「Hostile architecture」に変えることができるのです。多くの駅では、中毒者が血管を見ることができないような特別な青い光があります。あるいは、眠ることができないような大音量のクラシック音楽が放送されていることがあります。または、それ以外の公共スペースでは、若者を遠ざけるための特別な対策がとられています。いくつかの広場では、肌の欠点を強調するピンク色の光を当てたり、迷惑な音(いわゆる「モスキート」)が放送されている。年齢とともに徐々に聞こえ難くなるため、20代後半以降の者には気にならない者が多い。

  現代の日本では、「Hostile architecture」に対し、「排除アート」という呼称がある。そんなのは「アート」(芸術)じゃないと言っておけばいいと個人的には思う。昔から、アートはより多くの人々をひとつの理想のもとに結びつけたり、権力に対するために用いられてきましたが、現代において皮肉にも弱者の排除、さらに社会的分断を進めるための手段として権力者に利用されているのである。
公園のベンチや駅の床で寝泊まりせざるを得ない人々は、家庭内暴力や病気のせいで疎外感に苛まれながらホームレスになった人である。「排除アート」は、彼らに影響を与えるだけでなく、他のすべての社会的弱者にも影響を与えて、高齢者、障害者、子どもなどにとって公共スペースを使いにくいものにしてしまうこともある。
このようなアート作品を作ることで、私たちの共感はどうなるのであろうか。

  公共スペースに寝泊まりさせないなら、何らかの理由で眠る場所を確保できない方々のシェルターを増設すべき。考えさせていることは世界中で問題を隠すためにたくさんお金を使われている。その代わりに、政府が問題を解決するためにそのお金を使わない理由は何か本当にわからない。政府のもはすべての人を守ることのはずですが、実際にそうしないと思う。
皆さん、どう思うか。