長い間、漫画は面白さと趣味の一形態にしか見られず、その強い表現力と意思疎通能力が過小評価された。1950年代に米国ではその漫画を読むことが犯罪につながる可能性があるという偏見が広まった。過去に日本でも漫画を神聖な教育の場所にもたらすことがオフェンスであった。ところが、新しい研究は漫画が教育のに有用な強力な意思疎通の手段として見直した。

漫画の構造ので、情報は明確で読みやすいように複数のパネルに分かれて再構成される。様々なパネルで使用できる空間制限とは、短く簡潔で効果的な文章を使用しなければならないという意味である。絵は、読んでいる内容を理解し、覚え込むのに役立つ。さらに、ビデオや教師の口頭説明のような他の意思疎通道具とは違い、漫画の内容は永久的に描かれていて、学習者が以前の段階を復習し、情報を最も適切な方法に反映して同化させるのに必要な時間を持つことができる。また、ストーリーを聞かせることは読者の興味を刺激するだけでなく、感情的にもそれを投資する。実際、クラーシェン氏の感情フィルター理論によると、感情が学習過程において「加速器」または「ブレーキ」の役割をすることは疑いの余地がない。でも、クラッシェン氏は生徒と教師の間の人間関係に焦点を当てているが、この感情的なフィルターは、人々に感情を引き起こすすべてのものに適用することができる。楽しいような肯定的な感情により多く関わるほど、学ぶことがより良いようである。現場実験は、集中力の問題や学習障害のある人が、たとえば読字障害、ADHDなど、学習中に漫画の使用に肯定的に反応したことを確認した。そして、漫画は様々な現実的で幻想的な背景を引き起こし、読者に強調させて自身の情緒的統制を訓練させる。

言語教育に関しては,漫画が多くの年齢層にわたって広がっており、非識字の退治に大いに役立つ。漫画は読解力を向上させることができる。言葉と絵のつながりを通して、漫画は読み方を学び始めた人々と読むのに困難な人々を助けたり、学習した情報を処理する能力と問題解決能力を開発したりする。色々な説話的な文脈について短い文章の例を使って文法を教え、語彙を拡張して豊かにする。読書資料として、とくに日本では漫画が手に入りやすく費用があまりかからない。このような原則は母国語だけでなく外国語学習にも適用される。言語を上手に学ぶため、言語の文化を知って理解しなければならず、芸術、叙述、コミュニケーション能力のおかげで、漫画は遠く離れた文化に没頭させる理想的な道具である。

もちろん, 言語を学ぶのに漫画だけが十分ではない。 単語の意味を見つけ、文章の文法的·構文的構造を理解するために文章を分析しなければならない。 それに言語は音でも構成されているので言語の発音を聞かなければならない。それでも漫画は勉強をもっと有利で面白くする方法である。