皆様、はじめまして。グループ10「文化ステレオタイプ」の今週の記事の担当者で、ステファニアと申します。今週の選んだテーマは外見に関するステレオタイプと美の基準です。
「美の基準」を聞くと、何と思いますか。定義を調べたら、美の基準とは、社会に認められた身体に関する美しさの理想のことで、身体的な美しさの最も優れた、最も望ましい特徴を集めています。
美しい体と言えば、大抵背が高くて細い女性や強くて筋肉質な男性の理想が頭に浮かびますね。確かに、リタッチのためのフォトショップのようなソフトの不断な使いや美容外科の人気の高まりやソーシャルメディアなどがこのイメージの作りに影響を与えたので、現在の社会に魅力的な人は少し冷たいと思われていても、大抵いい性格があって仕事にもっと有能だと思われています。そのため、魅力的な人の方が仕事の面接を受けたり、採用されたり、高い賃金も得たりする可能性が高くなります。逆に、派手やかに染めた髪、入れ墨とピアス、肥満などは外見に基づく職場での普通の差別です。
それに、体型と言えば、一般的に痩せた人は美しく見られているので、太っていたらすぐ痩せなければならないと考える人数は多いです。「ボディ・シェイミング」という問題もますます悪くなりました。しかし、モーリタニアで魅力的に見られているために太ったことは大事だと知っていますか。この最後の情報を忘れずに、何が美の基準に影響を与えるかと思いました。
グループの人と話している間、聞いたことがなかった美の基準も今週中見つけました。例えば、エチオピアのムルシ族とスルマ族の中で、下唇をピアスして大きいリッププレートを入れることは伝統の習慣です。それに、タイのカヤン族の中で、女性は首が長いと伝統的に美しく見られているので、首の周りに輪っかをたくさんつけて、長くします。これはいくつかの例だけですが、興味を持ったら、このビデオを見てみてください。
たぶん、苦しそうで私達の慣れた美の理想と違う習慣を聞いて、驚くかもしれません。しかし、文化的にもっと近いと思われる国も比較すると、違いがいくつかあります。日本で、道を歩いている女性たちは「理想体重と理想身長は何と思う?」と質問されて、多数は理想の体重は約40~50kg、理想の身長は約1.50~1.60mだと答えました。一方で、アメリカで理想の身長は約1.60~1.70mで、理想の体重は約55~65kgになるそうです。また、肌の色と言えば、欧米でブロンズ色の肌は人気で、人々はブロンズ色になるために日焼けサロンへ行ったりする一方で、あるアジアの国で淡い顔色を好んで、その外見を達成するために漂白クリームを使用する人もいるそうです。
美の基準は時代や文化、経済、社会状況などと関係していて、くるくる変わるコンセプトです。最近、ソーシャルメディアの影響も高まって、社会の美の基準を重視する傾向がありますが、どれほど重要なのでしょうか?ある人にとっては非常に重要で、他の人にとってはほとんど重要ではないような気がします。おそらく、「美は見る人の目の中にあり」ということわざを聞いたことがあるでしょう。このことわざを聞くと、本当の美しさはそれぞれの人の見方によって違うので、自分自身の外見が存在する社会の美の基準と違っても、大丈夫だと思います。
皆様、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。美の基準についてどう思いますか?皆様の意見を楽しみにしています!
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27 2月 2021 at 0:42
本当に興味深い記事だと思います。私にとって、特に体型のテーマが近くに感じます。
私は残全にステレオタイプのことが面倒になりました。私は神経性食欲不振症って病気になりました。。。今も戦っています。。。
ステレオタイプが人の生活を大きくて変えられると信じます。食物障害といえば、みんながステレオタイプのことをやめら、多くの人々が治れると思います。
今は各観的に女の人はきれいでなくても、男の人は筋肉がなくても、人々が様々なので全人が特別だと深く信じます。
27 2月 2021 at 14:36
コメントを書いてくださって、ありがとうございます!確かに、体型のイメージの問題は近代的な社会で重視するようになりましたね。もし、人々は色々な体型に関してもっと受け入れる見方を持っていたら、摂食障害について話すのももっと簡単になるかもしれません。体験を教えてださって、本当にありがとうございます。戦い続けるのは簡単じゃなくて、アリアンナさんは本当に強いだと思います。
27 2月 2021 at 2:33
ステファニアさん、面白い記事をありがとうございます!この記事を読んで、美の基準について考えることは大切なことだと感じました。私たち、とくに女性は有名モデルやアイドルを目標として、その姿に近づこうとしています。モデルの容姿に憧れて、無理なダイエットをする女性も少なくありません。たしかに、美しさを追求することは自己実現の一つであり、とてもいい行いではあると思いますが、個人の健康のことを考えるといいことだけではないと思います。モデルのような細く、スラッとした容姿を美の基準として置く今の流行について、少し考えてみる必要があるかもしれません。
27 2月 2021 at 14:58
コメントを残ってくださって、本当にありがとうございます!私もそう思います。この社会の美の基準はCMとかソーシャルメディアとか、どこでも見られるので、たぶん潜在意識の中に「あぁ、私もあの人たちと似ていたい」と感じるようになりますね。しかし、ほとんどの場合、フォトショップでレタッチされたイメージなので、天然にこんな美の理想と似ているのは不可能です。
27 2月 2021 at 10:25
ステファニアさん、この記事を書いてくれてありがとう! 美の基準に関しては、個人的には誰にとってもきれいとは言えないと思います。 ステファニアさんが書いたように、世界中には非常に多くの多様な要件があるので、場所できれいであると考えられるならば、どこかで醜いでしょう。 ですから、私の意見では、他の人ではなく自分自身のためにきれいに感じることが最善です!
27 2月 2021 at 15:32
アマンダさん、コメントを書いてくださって、本当にありがとうございます!
コメントを読みながら、グループ10と一緒に思い出した他の有名なことわざがあると思いました。「Non è bello ciò che è bello ma è bello ciò che piace」、つまり、美しさは普遍的なコンセプトではなくて、好きなことは美しく見られています。
私もアマンダさんのコメントと賛成です。自分自身のために美しく感じるの方が大切だと思います。体も性格も欠点も好きになったら、自分自信ももっとよくなるでしょうね。
27 2月 2021 at 11:42
ステファニアさん、この記事は記事は本当に面白かったですね、いくつかのステレオタイプはちょっと変で怖いです。例えば、ビデオでエチオピアのムルシ族とスルマ族の中でのステレオタイプを見た時、私はショックを受け、それが苦痛だと思いました。 他の変なステレオタイプはエチオピアのカロ族のステレオタイプです。女性の傷跡がたくさんあった、美しいと見なされます。しかし、私にとっては、それぞれが独自の美しさを持っており、自由に表現する必要があります。
27 2月 2021 at 15:48
コメントを残ってくださって、ありがとうございます!エレナさんと同じように今週の会話中この伝統の美の基準を見てびっくりしている人もいました。私たちの慣れた美の理想とこんなに遠いので、理解できるリアクションだと思います。もしかしたら、私たちもその部族の中で生まれていたら、その美の理想と似ていたかったと思います。
しかし、エレナさんの言った通り、それぞれの人は独自の美しさを持っていますね。大賛成です!
28 2月 2021 at 10:34
そうですね。
ステファニアさんお疲れ様でした。
27 2月 2021 at 13:12
ステファニアさん、この面白い記事をありがとうございます。
あなたが書いた通り、「日の基準」は国だけではなく、社会状況に関していろいろな外見によって、このコンセプトが違っていますね。私にとって、それぞれの社会にある理想に反対されないんですが、一方、人々の自分自身の外見も美の理想も尊敬しなければならないと思います。
27 2月 2021 at 16:21
はい、セバスティアーノさんの書いたように、人々は私の主観的な美の理想と似ていなくても、いつも尊敬に値すると私も思います。
美しさは本当に主観的なイメージなので、他の人の美の理想を正邪と考えることができないと感じています。しかし、人種的な偏見などを隠すために、時々自分の美の理想を利用する人もいるような気がします。美の理想と人種的な偏見の関係も複雑なトピックですね。
セバスティアーノさん、コメントを残ってくださって、本当にありがとうございます。
27 2月 2021 at 15:14
今週のトピックは本当に面白かったです。 美の基準のほとんどは、業界の経済的理由によって推進されていると思います。 この産業は、女性の不安を利用して製品を販売することで、より多くのお金を稼ぐことができます。
27 2月 2021 at 16:47
アリチェさんの言ったことは本当だと思います。人々は達成できない美しさの理想を見れば見るほど、不十分な感じは高まってしまいます。確かに、近代的な社会でどんな美の基準が人気になるかは業界が大影響を与えていますね。
アリチェさん、コメントありがとうございます!
27 2月 2021 at 17:31
ステファニアさん、とてもおいいポイントにきがつきましたよね!国々、時代、環境によって美の基準はずっと違う証明がもう一つ欲しかったら、ヨーロッパでも「美人」のことの考え方はのすごく進化されたんですね:例えば、17世紀にかいた油絵をみたら、女性がいつも肉感的で豊満ですが、18世紀にかいたのと比べたら、逆に「美人」という女はやせていて、子供みたいな笑顔をしていることにすぐ見いえるんですよ。だから私もステファニアさんと一緒に、本当の美しさは容姿じゃなくて、見ている人の頭に存在すると思います。
27 2月 2021 at 18:28
はい、ピエトロさんの書いた例はとてもいいと思います!さらに時間を遡れば、美の基準の変化はずっと見れらますね。例えば、古代ギリシャで美しさの理想は丸みを帯びたフォルム、広いヒップ、顕著なお腹、淡い顔色などだったそうです。そして中世に、簡素な美や細いヒップ、小さい胸というイメージは人気になったそうです。この過去の理想を現代的な美の基準と比べて、ある部分は全然違って、他の部分はもう一度人気で、循環的な変化のような気がしますね。
コメントしてくださって、本当にありがとうございました!
27 2月 2021 at 17:58
本当に興味深い投稿を書いてありがとうございます!「美は見る人の目の中にあり」という考えにとても同意します。人は他人の判断に影響されることなく自分自身を感じなければならないと思います。私が重要だと思うのは自分の気持ちと健康だけです。お疲れ様です!
27 2月 2021 at 19:04
フランチェスカさんの意見を読むのは面白かったと思います!確かに、達成できない美の基準はいろいろな健康問題につながることもあるので、自分の健康と気持ちを大切にすることはバランスなアプローチだと思います。しかし、自分自信が低い場合、たぶんそれをよくできるのは時々難しくなるかもしれませんね。
コメントを書いてくださって、本当にありがとうございます!
27 2月 2021 at 19:10
このポストを書いてくれてありがとうございます。大切なので、この問題について話さなければなりません。私にとって人々は全部きれいですが、今日の社会は同じように考えていません。いつもテレビで色々な広告に美のステレオタイプがあります。このため過食症や食欲不振などの病気が発症する可能性があるかもしれません。とても危ないです。変なことは前に理想の体は全然違いました。どうしてでしょうか。今もわかりません。
27 2月 2021 at 20:06
フランチェスカさんの言った通り、現在の美の理想は非常に厳しくなってしまいましたね。それに、フランチェスカさんの言ったことは本当に大切だと思います。現在の美の基準はどこでも見られますが、ある人の美しさは外見だけじゃなくて、性格ありますから、社会の支配的な美の基準に適合しない人々もきれいだと思います。
コメントを書いてくださって、本当にありがとうございました!
28 2月 2021 at 9:50
ステファニアさん、この素晴らしい記事を書いてくれてありがとうございました。美の基準は二十一世紀の大事な問題ではなくて、二十一世紀に非常に重要になってきました。モーリタニアとエチオピアの美容基準のことを全然知らなかったので、大変勉強になりました。だから、とても感謝します!確かに、ステファニアさんが言った通り、私も自分自身の外見が存在する社会の美の基準と違っても、大丈夫だと思います。お疲れ様でした!
28 2月 2021 at 13:32
イラリアさん、ポストを読んで、コメントを書いてくださって、本当にありがとうございました!
そうですか。グループ10の中でも自由会話の学生の中でも、今週以前この美の習慣についてテレビやネットなどで見たことがなかった人がいました。個人的に、私たちの慣れた美の基準に対する視点の転換になれるので、この習慣について聞くと面白くて大事だと思います。
ありがとうございました!
28 2月 2021 at 10:36
ステファニアさん、ポストを読ませて頂いてありがとうございました。文化ステレオタイプと美の基準のため、世界中で毎日苦しむ人がたくさんいます。自殺してまで人もいます。それは非常に悲しいです。しかし、ポストに書いてある通りに、地域によって美しさの認識は異なります。くるくる変わるコンセプトとして、私達は社会に紹介された美の基準を追求するのは意味があるかな。もしかして、自分の好きな様子を追求したほうがいいです。
28 2月 2021 at 13:44
アンナさん、意見を知らせてくださって、ありがとうございます!
近代的の社会に美の基準はこんなに重要にしているので、度外視するのは難しくなりますね。でも、私もアンナさんの書いたことと賛成です。他人の理想より自分の好きな様子を追求するの方が自分の幸福のためにいいと思います。
コメントを本当にありがとうございました!
28 2月 2021 at 14:44
ステファニアさん、面白い記事を書いてくれてありがとうございました!お疲れ様でした。私にとって美の準備については一人一人違っていると思います!社会のスタンダードを気を付けないで、皆は自由に自分の美しさを表さなければなりません。
28 2月 2021 at 15:49
私はソフィアさんの書いたコメントに大賛成です。生まれた外見だけではなくて、ファッションなども見た目と繋がっていて、他人に判断されることを恐れずに自由に個人的な美しさを表したら、とてもいいと思います。
ソフィアさん、記事を読んで、コメントを書いてくださって、ありがとうございます!
28 2月 2021 at 14:55
このトピックはとても面白いです。私はいつもこのテーマを身近に感じてきました。私にはイタリア人とペルー人の親がいます。私は子供の頃から、可愛いかと思いました。私の友人は白人の遺伝子を持っていて、私は彼らのように見えましたが、完全ではありませんでした。友達でさえ私を褒めず、それが何に関係しているのか理解できませんでした。 私は理解するのが小さかったです。何年にもわたって、私は自分自身を受け入れ、今は気分が良くなることを学びました。それは確かに私が彼らにとって魅力的なものを示している遠くの国からのドキュメンタリーを見るのを助けました。あなたが記事で言ったように、強化されて欲望の対象となった詳細があります。私は美容基準が最終的に主観的であることに気づき、それを受け入れました。そしてそれは私には正しいようです。
28 2月 2021 at 16:10
カミッラさん、とても面白い視点だと思いますので、体験を教えてくださって、ありがとうございます。
確かに、美の基準は文化や地方などによって違えるので、いつも対照的な視点を聞かなければならない場合、ずっと複雑になるような気がします。でも、自分を受け入れられるようになったことを読んで、嬉しいです。
コメントありがとうございました!
28 2月 2021 at 16:34
ステファニアさん、この記事を書いてくれてありがとうございます!とても面白いと思います!
美の基準は国によりますね!多分イタリアの美の基準は他の国にとても変です。面白いと思います。それに、国だけでなく、時代にもよりますね。例えば、過去は今より薄さはあまり大切じゃありませんでした。
28 2月 2021 at 17:16
ペルラさんの書いたことに賛成で、例も本当だと思います。近代のソーシャルメディアの高まりとか社会の状況とか、色々な影響がありますね。そのため、過去の美の基準も現在と比べて、色々違いましたね。
ペルラさん、コメントを残してくださって、ありがとうございます!
28 2月 2021 at 18:54
この記事は本当に面白いですね。書いてくれてありがとうございます。その考えに賛成します。美は文化や歴史や社会によってちがいます。私にとって美は大切ではないと思います。そのステレオタイプは賛成しません。私にとって一番大切なことは人の精神だと思います。
28 2月 2021 at 22:34
シルヴィアさん、ありがとうございます!そうですね。ある人の見た目は美しくても、悪いことを言ったり、悪いことをしたりしたら、本当にきれいな人なのでしょうか?たぶん、この質問の答えも人によって違いますが、私にとって、シルヴィアさんの意見に賛成です。外見より、性格とかお行儀とか、他の部分のほうが大切だと思います。
コメントを書いてくださって、本当にありがとうございました!
1 3月 2021 at 0:07
ステファニアさん、この記事はとても意味深だと思います。書いてくれてありがとうございます!
文化によって美の基準が変わることを理解するのは面白いと思います。私はビデオを見て、それが不思議だと思います。私はいくつかの慣習を知っていましたが、他の慣習は聞いたことがありませんでした。
確かに美は主観的ですが、ソーシャルネットワークはしばしば達成できない基準を提案します。これは私たちの外見の知覚に影響します。
1 3月 2021 at 11:43
レティジアさん、ビデオを見てくださってありがとうございます!おそらく、ビデオの内容の他に、世界中で別の美の習慣さえあるでしょうね。珍しくて知らなかった習慣の存在をもっと意識したら、私たち外見の理想の知覚も変わるかもしれませんね。
コメントセ欄に意見を書いてくださって、ありがとうございます!
1 3月 2021 at 15:28
面白いですね!タイのカヤン族とエチオピアのムルシ族のこともう知りましたが、世界の中に色々な例がありますね。私にとって、自分の国の社会の中で美の基準がありますが、自分の意見は一番大切だと思います。だから、よく自分の意見は社会の基準と違います。それは素晴らしいと思います。私たちの意見は強いですね。
1 3月 2021 at 21:25
ジェニファーさん、ポストを読んで、コメントを残してくださって、本当にありがとうございます。はい、私もそう思います。私たちの意見はとても強いと思います。そのため、自分の意見をどのように使うかについて考えるのは本当に大切だと思って、使い方によって自己研鑽の妨げか強力なツールになれると思います。
2 3月 2021 at 20:04
ステファニアさん、素敵な記事をありがとうございました。とても深い意味を持っているポストだと思います。微妙なトピックですね。社会にとって美は全然違いますけど、私は私の社会でけに集中して、多様性を忘れてしまうと思います。「美は見る人の目の中にあり」のことわざは本当に大事な教訓だと思います。このテーマを選んでくれましたありがとうございます‼
3 3月 2021 at 16:43
フェデリカさん、このポストを読んで、コメントを書いてくださって、本当にありがとうございました!そうですね。フェデリカさんの言ったことについて私も同じ感じがします。私たちの慣れた美の基準だけがあると信じたら、その他のイメージを批判するのはもっと簡単になると思います。逆に、別の美の基準も認識できたら、もっと包含的な社会になるかもしれないと思います。
3 3月 2021 at 15:50
Stefaniaさん、記事を読ませていただきました。確かに世界的にはやせている方が美しいとされる傾向がありますね。美の基準は国によって、さらには時代によっても異なります。日本でも昔はやせ細っているよりは、すこしふっくらとしたほうが好まれていたように思います。平安時代の絵を見ると、同じ日本なのに美の基準が全然違うことに驚きもします。今は一重より二重のぱっちりした目の方がかわいいとされ、整形をする人も少なくないです。ですが、平安時代の絵を見ると皆細い目をしていますよね。きっと昔はこういう方が美人だったんだと思います。また、ないものねだりという言葉もあるように大きな目に見慣れている欧米人から見ればアジア人の細い目は美しいとされることだってあります。美しさのあり方は様々ですし、自分がいる国の基準で美しくないとされていても別の場所に行ったら美しいといわれれることもあります。でもStefaniaさんのおっしゃるように、内面の美しさはどの国に行っても通用することだと思うので心をまずきれいにしていかなければなりませんね!
3 3月 2021 at 17:27
わかばさん、コメントを書いてくださって、本当にありがとうございます!他のコメントでヨーロッパの美の基準は時代によってどのように違ったかについて話しましたが、日本の見方も聞けるのが本当に面白かったと思います。
「ないものでなり」という日本の言葉を聞いたことがなかったですが、教えてくださってありがとうございます!もちろん髪や服装のスタイルのような部分を変えられますが、他の部分は全然変えられませんね。その部分の場合は、自分自身を批判しすぎないほうがいいと思います。なぜなら、その変えることができない部分は個人を特別にしているからです!
3 3月 2021 at 17:41
Stefaniaさん、興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
自分の属する社会の理想像だけに縛られてしまうのは、面白いことだと思います。美の基準は場所によって時代によって様々であると分かっていても、小さい頃から刷り込まれた社会的な理想像を取り払うのはなかなか難しいと感じます。テレビの中のアイドルや漫画のキャラクターの外見に強い影響を受けていたせいか、幼いころの方が美しさの多様性を受け入れることができませんでした。マスメディアが人々の価値観に及ぼす影響は本当に大きいと思います。
様々な国で痩せすぎモデルの規制が行われていると聞きます。行き過ぎると瘦せ型の人に対する差別になりかねない気もしますが、異常な美の基準を見直す試みは大切だと思います。ファッション界でいろんな人種、体形のモデルが活躍するようになってきており、興味深いです。美に対する社会や個人の意識が、これからどう変化していくのか、とても気になります。
4 3月 2021 at 19:02
はるみさん、私の書いた記事を読んでくださって、本当にありがとうございました!そうですね。子供の頃からその理想のイメージに慣れたので、それを注意しないのは本当に難しくなると思います。
痩せすぎモデルの規制について聞いたことがありますが、覚えさせてくださって、ありがとうございます!このトピックについて私はバランスが必要だと思います。はるみさんの言った通り、(例えば、自然に痩せている人に対して)差別にならないように気をつけなければならないと思います。その一方で、社会としてますます包括的になれたら、いいと思います!
4 3月 2021 at 22:06
素敵な投稿で、興味深く読ませていただきました。
古代ギリシアで「カロス・カイ・アガトス」(肉体的に美しいだからこそ高潔でいい人間であること)という哲学が普及していましたが、そういう考え方が歴史にあったということ自体は美と価値観の密着な繋がりの証明になるのではないでしょうか?人間には無意識に美と善を一緒に考える傾向があると思いますが、一体その直感的な考え方は変えられるのでしょうか?正直、僕にはぜんぜんわかりません
で、たぶん変えられるのは現在の美の標準です。とにかく、痩せすぎのモデルとか、「ボディ・シェイミング」に導く理不尽な美の標準を変えなければなりませんと思います。
6 3月 2021 at 17:20
ステファノさん、自分の書いたポストを読んでくださって、ありがとうございました!コメントもありがとうございます!
はい、この考え方は昔から存在して、歴史の中でずっと見ることができます。「好きなことはいい、好きじゃないことは悪い」という考え方は簡単ですが、簡単なので本能的になると思います。ステファノさんの言った通り、その質問を答えるのは複雑ですが、慣れた理想の上に、だんだん他の美の基準も普通にしたら、たぶん解決に向かって一歩踏み出すかもしれないと思います。
5 3月 2021 at 20:59
本当に面白い記事を書いてくれてありがとうございます。
ステファニアさんが書いたように、美の基準は時代や文化や社会状況などによって違います。美の基準に自分の体を合わさることは精神的で肉体的にいら立たしくなることがあります。だから、最近「ボディポジティブ」ムーブメントが流行していることはいいこと思います。
6 3月 2021 at 17:40
カテリナさん、コメントを残してくださって、ありがとうございました!
はい、私もそう思います。人々はますますこの厳しくてメディアに与えられた理想なので疲れて、「ボディポジティブ」運動は生まれることができたような気がします。プラスサイズのモデルや影響者も見るようになってきましたね。それは、小さくても、いい成果だと思います。これからも、もっと自分自身を好きになりましょう!
6 3月 2021 at 18:52
ステファニアさんこの記事は大変勉強になりましたね。書いてくれてありがとうございました。
美の基準は否定的また肯定的に文化の一部ですね。もちろん時代を通じて美の基準は変わって来ますね。
分からないことはなぜ美容というのは雇われるための必要条件でなければならないだろうか
仕事のため能力が必要ですね。受付などの仕事では、美しくなければなりませんね。私にとってこのこと無意味だと思っています。
9 3月 2021 at 16:05
実は、私もこの考え方をよくわかりません。ある人が魅力的でも魅力的じゃなくても、職場での努力は変わらないと思います。
でも、魅力的な人はよく評価されますから、魅力的でない人と比べて、その販売の利得がもっと高いのではないかと考える雇用主もいると思います。
アレッシアさん、私の書いたポストを読んで、コメントしてくださって、ありがとうございました!
6 3月 2021 at 19:05
美の基準は大変の問題なってきた。ソーシャルメディアのせいで一般的なアイデアは細く高い体ですけど、この理想の体を手に入れたい人はなんでもやります。それはとても嫌ですね。やっていませんあったら、美の基準を届けなかったら、自分の存在消えてしまってそうです。
最近、運良くに色々な活動があり、#bodypositivityのような活動はポジティブ基準を据えています。例えば、ワタナベナオミさんはインスタグラムでいいポストをシェアしますね。
9 3月 2021 at 16:44
クラウディオさん、コメントを書いてくださって、ありがとうございます!
私も#bodypositivityのような活動が生まれたので、本当にありがたいです。このような活動のおかげで、理想の外見がなくても、人々はますます大丈夫だと考え始めるようになりましたね。ところで、完璧な外見は何でしょう?それも主観的ですし、完璧として見られる人も不安を感じることがあると思います。
このいい活動の影響で、社会の厳しい理想もだんだん違って行くと思って、もっと包含的になるように希望します。
7 3月 2021 at 15:22
今週のテーマはとても面白いと思い、書いてくれてありがとうございます。世界ですべての文化の美の基準を比べて、面白い結果を受けると思います。美はさまざまの特徴に影響を与えられていますね。
「美は見る人の目の中にあり」という言い方を賛成します。だから、他の国の美の基準を賛成しないでも、悪いコッメントを言わないでください。「ボディ・シェイミング」は現在に大きな問題です。「ボディ・シェイミング」を言る人は相手の自信が深く傷つくと思います。
人間はいつも完璧さを探していますが、見つけた時自分の美の基準を押し付けることできません。
10 3月 2021 at 11:49
エレナさん、このコメントを書いてくださって、ありがとうございます!
エレナさんの言ったことに大賛成です。ある見た目に慣れていなくて、好きではなくても(他の国の伝統的な美の理想の場合も、他人のスタイルや体型の場合も)、悪いことを言うべきではないと思います。私にとって、「ボディ・シェイミング」は苛めることだけではなくて、時々人々は「あなたのことを心配なので、このコメントをする」という気持ちもあるから他人の体に対するコメントを言ってしまいます。でも、意図がよかったですが、聞く人に悪い影響を与えますね。
その他に、完璧さを探すのは本当に難しいですね。ある人の完璧さは他の人に完璧じゃない可能性が高いので、元来外見の完璧さは欠陥のある概念だと思います。多分その代わりに、人々は自分の幸せや気持ちの方がもっと大切にしたら、心にいいと思います。
7 3月 2021 at 23:30
Stefaniaさんこの面白い記事を書いてありがとうございました。私にとって、人の性格は美しさよりも重要だと思います。そしてSNSの悪影響はこの時代の大切な問題だと思いますから、学校では、子供たちはソーシャルネットワークを使いすぎないように教育されるべきだと思います。
10 3月 2021 at 11:59
ベアトリーチェさん、いいポイントを書いてくださったと思います!SNSはこの時代に便利になりましたけど、悪い使い方もありますね。学校でソーシャルネットワークの使い方やメディアリテラシーのクラスがあったら、本当に役に立つと思います。
ベアトリーチェさん、コメントを残してくださって、ありがとうございます!
11 3月 2021 at 17:30
この本当に興味深い記事を書いてくれてありがとう!残念ながら、私はこの種の固定観念に多くの問題を抱えていました。中学生でも高校でも、いつも自分の外見にからかわれていたので、いつも体重を減らしたいと思っていました。これらの固定観念のために、今日でも私は自分の体に苦しんでいますが、私は自分自身をもっと愛そうとしています。これらのステレオタイプは差別につながり、人々を苦しめるので、人々はこれらのステレオタイプの作成をやめるべきだと思います。これらの問題が今日でも存在しているのは悲しいことです。人々は身体的側面を区別することなく、すべての人の多様性を愛すべきです。
13 3月 2021 at 15:03
サラさん、このコメントを書いて、自分の体験を語ってくださって、本当にありがとうございます!特に学校の時、多くの人が「モテたい」と思っていますね。そうするために特定なイメージが必要だと思います。その一方で、残念ながらそのイメージがない人々はいじめられてしまうこともありますね。それは本当に大変だと思います。このような経験の後、自分を愛するのは簡単じゃないと思いますが、本当にいいことだと思います。サラさん、これからも頑張ってくださいね!
24 3月 2021 at 4:20
とても共感できます。皆の意見それぞれなのでステレオタイプは生まれるのが当然ですね!「美の基準」は本当に存在しないと思います!個性はあるので皆それぞれの能力や特徴があるのに皆と同じようにその基準通りに自分を変えることは社会の多様性がなくなりますよね!
31 3月 2021 at 17:09
コメントを書いてくださって、本当にありがとうございます!私も同じように思います!みんなは同じ体型や見た目や衣類などがあったら、世界は本当につまらなくなるでしょうね!