わたしはこのVirtual Businessプロジェクトのコーディネーターをしている西田翔子です。
わたしの最初のポストなので、少し自己紹介です。
普段はカフォスカリ大学で日本語の授業を担当しています。
それと同時に、同大学の修士課程の2年生です。日本語教育についての卒業論文を今まさに書いているところです(締め切り間近!)。
ヴェネツィアに来る前は日本の会社で10年以上働いていました。こんな経験があるからか、Trattativa Commerciale(ビジネスで使う日本語)の授業も担当しています。
そして、今回、Virtual Businessプロジェクト(詳しくは→https://nolbrick.wordpress.com/2021/02/07/virtual-business-へようこそ!/ )を担当できることになり、とてもうれしいです。使命感すら感じるほど。
メンバーは、わたしと日本語を勉強している10人の学生(学部3年生と修士1年生)です。
彼らのいいところは本当に色々ありますが、まずはわたしががんばってイタリア語でメッセージを書いても、ぜったいに日本語で返してくるところでしょうか(全員、負けず嫌いでしょうね)。
当然、プロジェクトは教育目的ですし、本物のビジネスではありません(あしからず)。
でも、つくろうと決めたものをどうやって作るかいっしょに考えたり、仕事の進み具合を確認したり、定期的に会議をしたり、意見を言ったり、励ましたり、励まされたり・・・
これぞ、まさに仕事。
そして、仕事をする彼らは、「教室の学生」であった彼らとはなんだか違ってみえます。
「教室」にいるときより、もっと力強い感じです。
そんな彼らをなんと呼べばいいでしょうか?やっぱり学生?
はたまた仲間?もはや同志???
こんなことを考えてしまうのも、今わたしが卒業論文を書いているからでしょう。「教育をするものと、教育されるもの」が二分化、固定化されてきたことを批判したフレイレの文献(Freire, 1972)などを読んでいます。
二分化され、固定化され、”interaction” (カタカナでインターアクション、相互作用、交流、対話、ふれあい・・・などなど)がない。日本語を教えるほうが、教える内容と方法を決めて、学生がそれを受け入れる。たしかに教室にはこんな「一方向性」が存在していると思います。
でも、授業には何十人もの参加者がいるうえに、コロナ流行下ではオンラインで実施しなくてはいけません。そんななか、interactiveな授業をやってみようとするのは予想以上に難しいことでした。
でも、どうにか”inter-“にしたい!と奮闘したこと、それがわたしの卒論のテーマです。
それなのに、”interaction”って、そもそも、自分の人生にとって、そんなに理想的で、美しいもので、目指すべきものだったっけとふと思うことがあります。
なぜなら、会社で働いていた時、色々な人との”interaction”は本当にたいへんで、めんどくさくて、逃げたかったものでしたから(そして、実際に逃げる技も身につけた!)。
やる気をみせない後輩に仕事を教えてあげたのに、逆ギレされる。
お客様からのクレーム(ご意見・要望とも言う)に熱心に対応したら、なぜか「雨降って地固まる」になる。
上司に悪い出来事を隠さずに、でも怒らせないように報告する。
仕事が終わった後に飲み会があるらしいが、今日はまったく気分じゃないから、理由を作り出して断る
・・・などなど。
これらは”interaction”だっただろうと思います。
小部屋に入って、鍵をしめて、電話線も切って、一人でやりたい仕事をすすめられたら、どんなにすばらしいだろうかと妄想したあの頃。
でも、Trattativa Commercialeの本(Mariotti, 2019)に「独り言」の章がないように、「独り」と「ビジネス」はあまり相容れない概念のように思います。
メール、就職活動の面接、名刺交換、商談・・・。
すべての章は、その言葉を受け取る相手がいることを前提にして書かれているようです。
そして、やっぱりこのプロジェクトも、メンバーとの”interaction”に満ちています。
会社で働いた時に、あんなに逃げたかったはずの”interaction”に、ここヴェネツィアで再会しました。
自分が考えを言ったら、メンバーもそれに対して考えを言う。
こんなことを毎日のように繰り返しながら、「ああ、人といっしょに仕事をすることって、本当はすごく楽しいことだったね」と思い出している自分に気づきます。
その「楽しさ」も、やはりわたしが会社で働いた時に、経験したはずのことでしたが、嫌な”interaction”から逃走した結果、すっかり忘れていたのでしょう。
“Interaction”との再会は、コロナで人との交流が制限されている今、なおさらうれしく感じます。なつかしいのに、新しい気持ち。自分の中からパワーが生まれてくる感じもします。
メンバーの誰からもメッセージやメールがない一日は、物足りなく、さびしく感じるほどなんですから(わたしだけじゃないといいけど)
(Reference)
Freire, P. (1972). Pedagogy of the oppressed. New York: Herder and Herder.
Mariotti, M. (2019) Giapponese per il business, Milano: Hoepli.
23 2月 2021 at 23:05
西田先生、ポストを読んで、”interaction”との「再会」という点で、非常に感動しました。新鮮な目で自分の経験に振り返るのは、このプロジェクトに参加している方、コーディネーターも含むみんなの力(パッション)のおかでもあると思います。教室の「成績制度」から離れると、別世界が開かれてきます。そこで学生が「この社会にともに生きる、ともに構成している方」として感じられ、「使命感すら感じるほど」の嬉しさも現れてくる可能性が開いてくるでしょう。私にとって、この場のみ(?)「inter-教育」(相互教育?)の場となりうると思っています。参加者の皆さんへ、感謝しています。
25 2月 2021 at 17:25
西田翔子は上手な先生と学生ですと思います。翔子先生の卒業は頑張って!
私の考えではコミュニケーションをとること(オンラインも)をたくさん重要です。
4 3月 2021 at 13:12
ヴァーチャル留学が始まって一か月経ち、このブログに参加するためのアカウントを先ほどやっと作り、様々なブログ記事を読んでいて西田先生の今回の記事を見つけました。ZOOMなどで生き生きと進行されている西田先生の様子を拝見し、日本語の先生を海外でするというのは素敵な仕事だなと思っていました。そんなことを思いながら、読んだ今回の記事だったので驚くことが多かったです。まず、会社員をされていたこと、そして現在修士課程にいらっしゃるということ、いつか西田先生のキャリアというか、これまでの進路をお伺いしてみたいと思いました。
そして、interactionのことですが、会社員時代のinteractionと現在カフォスカリ大学でのinteractionは全く別のもののように感じられました。これから、就職活動をして、日本社会に入っていくにあたって、後者のようなinteractionができるように私も過ごしていけたらと思います。
ヴァーチャル留学のことでお世話になっておりますが、普段西田先生の日本語の授業を受けているというわけではなく、先生とのつながりはあまり多く持てていなかった中、突然このような形で私がコメントをして驚かせてしまったかもしれません。しかし、これもコロナ禍の新しいinteractionの形ということで…これからもよろしくお願いいたします。
13 3月 2021 at 14:41
Satokoさん、コメントありがとうございます。ポストを読んでくださり本当にうれしいです。またこのプロジェクトにも積極的にかかわってくださりありがとうございます。進路を考えていらっしゃるんですね。色々考える人生の時期でしょうか?カフォスカリの学生との交流何か刺激?新しい視点など、
心になにかの変化が起きていたら、ぜひ教えてくださいね。
書いてくださった「interactionのことですが、会社員時代のinteractionと現在カフォスカリ大学でのinteractionは全く別のもののように感じられました」なんですが。わたしもどうして違う感じがするのかな?とこのプロジェクトがはじまってからずっと考えているんです。実はわたしにとっては、2つは同じことですし、同じ自分の能力を使っている気がするんですけど、何かが違うんです。後者のほうが楽しいですね。でもどうしてかな?その理由をわかって、またプロジェクトのメンバーと共有したいなと考えていたところです。
あまりお話する機会がないですけど、この縁がまた何かのかたちでつながっていけばいいなと願っています。