言語教育の役割はなんですか。三週間前から、つまりJaleaで文法チームのメンバーとして働くようになってから、こんな質問は何回も頭に浮かんできました。5年前の私に聞いてみたら、「言語教育の役割は言語を教えるに過ぎないでしょう」と答えていただろうと思います。けれども、今は考え方がちょっと変わりました。
言語教育活動はカップに清い水を注ぐようなシンプルな活動ではないと思うようになったのです。「言語」ということは透き通った水のように単純な概念ではなく、必然的に社会的不平等と密接な関係があります。それで、無意識的に日常生活の中でも使われている言語のいわゆる象徴暴力に気をつける必要があると思います。この理由で、学んでいる方に知識を注ぐこと、つまりただの情報の授受は不十分です。特に言語を教える時に。
社会は言語に影響を及ぼす言うまでもありませんが、サピア・ウォーフの仮説が示したようにその逆も確かです。言葉がら思考、思考から行動。教えている言語がステレオタイプや偏見でいっぱいだったら(一言で言えば、エクスルーシブだったら)どのような行動になってしまうのでしょうか。
それで言語の教え方を扱うと、従来通りに教えるのか、もっと包括的なアプローチを取るのかという二つの選択があると思います。言い換えれば、「言語に反映されている社会的不平等に気にしないで、現状を維持する」と「言語の象徴暴力を理解してみて、現状を改善してみる」という二つの選択です。
このポストを書いている私は二つ目の方がいいと思います。従来のステレオタイプを強調しないように、もっとインクルーシブな社会の基礎を築けるように、そしてみんな共生できる場を与えるように言語教育は第一ステップになると思います。
将来の投稿でもこのトピックにもっと触れていきたいと思いますので今日はこれで以上です。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
21 2月 2021 at 10:39
本当に面白かったです。私もそう思います。
私にとって言語は文化によります。だから、言語は文化の鏡のように似てると思います。言語を学ぶために、文化も分かるのが大切だと思います。
21 2月 2021 at 16:33
このブログは本当に面白いですね。お疲れ様でした!
文化と言語と強い関係だと思います。私にとって、文化を知ること言語の学習のために大切です。
21 2月 2021 at 17:22
このトピックは面白いですよ。私は言語教育も基本だと思います。
私たちは自分の言語に基づいて考えているので、言語を勉強して教育を改善することで、物事の見方も変わる可能性がありますよ。
インフォを調べてくれたありがとうございました。
21 2月 2021 at 18:44
本当に面白いです。 私は言語教育についてこれを考えたことがなかったことを認めます。
また、私も2番目のアプローチの方が良いと思います。 言語とその側面をよりよく理解することは、言語の中に隠れているこの社会的不平等を強調することなく、言語を最もよく教える方法を理解するのに確かに役立ちます。
28 2月 2021 at 23:24
とても面白い話です。「象徴暴力」という概念は知らなかったのです。
言語固有の偏見をどうやって正すのかという問題は解決しがたいと思いますが。言語を変えようとしても、僕らの思考や行動できる範囲は教われた言語に限られていて、葛藤を生じる可能性もあります。言語と思考が相互影響していることを前提にしたら、やっぱり両方面を考慮して変更していくというアプローチは一番いいかもしれないと思われます。
次回の投稿を楽しみにしています!