皆さん、今週もお疲れ様でしたね。このバーチュアル留学のプロジェクトが進んでいる間、自分のいろいろな意見や観点も徐々に出始めたんです:みんなは出身が大きい遠さがあるのに、コミュニケーションが全然できないというわけではないでしょうね。でも、この凄い交換の動機づけは、何でしょうか。それは、「言語」という事だと言えるのではないでしょうか。

この問題を解くため、もし、もっと元にある別の質問を聞いた方がいいでしょう:皆さん、どうして日本語を勉強していますか。このように他者に聞かれたら、一度だけは「本当に日本文化に興味があるんですね、あなたは」とも言われたことがあるんではないでしょうか。もちろん、別の国の文化や習慣の知識を深めるには、その国語が話せるのはよく役に立てるに間違いないんですが、「私が日本語やイタリア語などを勉強していますから、その国の文化も分かります」というのは、本当でしょうか。皆さん、答える前に、この動画をちょっと見てみて下さい:

このビデオには、東京の品川区にある「明晴学園(めいせいがくえん)」という特別支援学校が紹介されています。そこは、耳の不自由な子供達のための学校で、生徒達が「日本語」ではなくて、「日本手話」だけを通してす全ての授業を受けています。しかし、そこで日本語の文法や文型を学生達が勉強していないので、完全に日本人ではないとか、日本社会の一員ではないとか、正確だと言えますか。確かに、この動画をみた後、その耳が聞こえない子供達が本物の日本人だけじゃなくて、よく放って置かれた社会のメンバーだとすぐ分かります。

だから、ある文化圏の中にはいろいろな言語の種類が存在できるので、言語教育や外国語の勉強の目標は、その国の文化が分かることではないわけです。私たちが今週グループ内と自由会話の授業でこのトピックについていろいろ話しながら、「言語の純粋な目的は、何でしょうか」と聴き続けていました:実は、相手と話す時に、文法より、一般的に自己表現、伝達の易しさ、言述の把握、自分の言いたいことが相手もわかるように、これらは最も大切にすることのではないでしょうか。そして、いつでも、どこでも、人々がお互いに自分の意見や気持ちや意図を伝えられるように一生懸命に頑張るので、出身の間にある遠さや文化の違いでできている壁を言語の力を使って乗り越えてみるとも言えるでしょうね。

そのため結局、今週した会談に基づいて私たちが「言語というのは相互理解のための最も重要な方便の一つです」という解決に至りました。

皆さんは、どう思いますか。賛成ですか、反対ですか。もし良かったら、どうぞコメントしてください!